熊襲亭とは
熊襲亭の由来
上記のイラストは上が日本武尊、下が熊襲族の酋長 川上(熊襲)タケルです。 酒宴の折、女装した日本武尊が川上タケルを討伐しました。
熊襲亭の由来
景行天皇の時代、南九州で強い勢力を持っていた熊襲族は、しばしば朝廷に対して反乱を起こしていました。
この熊襲族を制圧するために、天皇は日本武尊(当時の名は小唯尊/オウチノミコト)を派遣しました。
しかし、強大な勢力を持つ熊襲族は、簡単に倒せそうにありませんでした。
そこで小唯尊は女装し、酒宴に紛れ込んで、熊襲族が油断している隙に隠し持っていた剣で、熊襲族の酋長を倒しました。
熊襲族の酋長は、苦しい息の中から、「大和には西国一の勇者が居られたか、貴方こそ日本一の勇者に相違いない、今日から日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と御名乗り下さい。」
と言い残して死んでいきました。
熊襲亭はこの熊襲族から名前を拝借しております。
◆古事記と日本書紀では若干表現が違うところがあったり、川上タケルは兄弟がいた(熊襲兄弟)という説など諸説ありますがなにしろ日本の神話の時代の話。正確なところはわかりませんが、熊襲族、隼人族などサツマの国には昔から勇猛な部族が住んでいたようです。温泉で有名な霧島の妙見には熊襲族が昔暮らしていたといういわれのある「熊襲の穴」という洞窟もあります。神話の時代のロマンに想いを馳せながら薩摩の郷土料理を味わうというのもおつなものではないでしょうか。
