営業のご案内

ご挨拶と歴史

master.jpg温故知新…「ゆくさおさいじゃした」。

昔の家には広い土間があり、そこには煮炊きの湯気が漂い、ご近所さんがおしゃべりしたり。
熊襲亭のエントランスは、そんな「ほっ」と一息ついていただける温もりに満ちています。
小上がりで靴を脱ぐと、畳の居間。磨き込んだ光沢の木柱や梁(はり)。
使い込んだ年代物の箪笥などが、ふるさとの田舎の家に帰ったような懐かしさでお迎えします。
そして奥座敷へと、季節の生け花が宴席の序曲。
美しいお国ことばを交わし合う温もりのある空間では、心づくしのお料理でおもてなし。
どれも風土のいとし子です。

郷土料理とは郷土(ふるさと)の理(ことわり)を料(はかる)こととか。
ふるさとの先人たちは、風土の中でよろこばしき食を手から心へ伝えて来ました。
時期にどっさり穫れる旬の食材を先人たちが丹精した至福の一皿。
つつましやかな暮らしの喜びの一皿に心を込める。
きびなごの菊盛り、さつま地鶏の刺身、さつま揚げ、豚骨、酒ずしなどを熊襲亭では「正調さつま料理」という、緩急のある多彩なコース仕立てでご堪能いただけます。

物語に満ちた日々の暮らしの中に息づく郷土の味の始まり。
健やかな日々を願う母の愛、戦に出向く者たちの無事を願う家族の愛。郷土の幸は愛の賜(たまもの)。
地産地消という言葉さえなかった時代、熊襲亭では半世紀前の開店当初から地元の食材を心尽くしの手料理で召し上がっていただいています。
さつま地鶏、黒さつま鶏、かごしま黒豚…どれも生産者の顔の見えるもの。
気が付けば地産地消を実践していました。

伝統の郷土料理はもとより、この土地に暮らしながら意外に知られていない善き風景、善き美味とともに。
心づくしをどうぞお召し上がりください。

熊襲亭 女将 黒川牧子

 

熊襲亭の歩み

南九州随一の繁華街・天文館。
江戸時代、第8代薩摩藩主・島津重豪が、この界隈に天体観測や暦の研究施設明時館、別名「天文館」を建設したことに由来します。大正から昭和にかけて路面電車が開通し「チンチン、ガタゴト」と賑やかな音とともに鹿児島の中心地を盛り立ててきました。

この歴史と文化が調和した街に、熊襲亭が産声を上げたのは昭和41年。

それまでも「味の本陣」という店舗を鹿児島市内の官公庁街に構えていた初代文夫。
香川県出身であった初代文夫・政子は、ふるさとの美味として名高い、うどんや弁当を商い、繁盛していました。
一念発起、天文館に手打ちうどんの店を出しました。
南九州随一の繁華街に店を出すことは二人の夢でもあったのです。

間もなく、現在の熊襲亭の近くの店を譲り受けることになりました。
それが昭和41年の開業の年。
大和時代に南九州で勢力を誇った熊襲族の宴の神話に由来する「熊襲」を冠した店。
風土の味覚を囲んで楽しいときを過ごしていただきたいという願いを込めた屋号はそのままに、メニューを一新。

元来、人を楽しませるのが好きなアイデアマンだった初代文夫と共に、地元の食材から史実に基づくメニューまで、様々な角度から試作を繰り返しました。
食はあらゆる文化の母胎、その源流を受け継ぐ郷土料理を一堂に味わっていただきたいという初代の想いの結晶として生まれたのが「正調さつま料理」。

調味から材料の切り方、お客様のお好みなどを授けてくれたのは母政子。
調理の息遣いをなにより大切に受け継いでまいりました。

目に見えぬことに手をかけ、心を込めること。
先人の仕事を守りつつ、伝統を進化させられたら…。

ふるさと鹿児島と共に歩んで約半世紀、これからも皆様とご一緒に歩んでゆけますように。

熊襲亭 店主 黒川雅夫

熊襲亭の由来

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左記のイラストは上が日本武尊、下が熊襲族の酋長・川上(熊襲)タケルです。 酒宴の折、女装した日本武尊が川上タケルを討伐しました。

景行天皇の時代、南九州で強い勢力を持っていた熊襲族は、しばしば朝廷に対して反乱を起こしていました。
この熊襲族を制圧するために、天皇は日本武尊(当時の名は小唯尊/オウチノミコト)を派遣しました。
しかし、強大な勢力を持つ熊襲族は、簡単に倒せそうにありません。
そこで小唯尊は女装し、酒宴に紛れ込んで、熊襲族が油断している隙に隠し持っていた剣で、熊襲族の酋長を倒しました。
熊襲族の酋長は、苦しい息の中から、「大和には西国一の勇者が居られたか、貴方こそ日本一の勇者に相違いない、今日から日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と御名乗りください。」
と言い残して死んでいきました。熊襲亭はこの熊襲族から名前を拝借しております。

 

◆古事記と日本書紀では若干表現が違うところがあったり、川上タケルは兄弟がいた(熊襲兄弟)という説など諸説ありますが、なにしろ日本の神話の時代の話。正確なところはわかりませんが、熊襲族、隼人族など薩摩の国には昔から勇猛な部族が住んでいたようです。温泉で有名な霧島の妙見には熊襲族が昔暮らしていたといういわれのある「熊襲の穴」という洞窟もあります。神話の時代のロマンに想いを馳せながら、薩摩の郷土料理を味わうというのもおつなものではないでしょうか。